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「民俗学が面白い!」准教授・高槻彰良が誘う民俗学の世界『コックリさん』『わら人形の呪い』『鬼』

完全記憶力を持つ民俗学の准教授・高槻彰良(伊野尾慧/ Hey! Say! JUMP)と、人の嘘がわかる大学生・深町尚哉(神宮寺勇太/ King & Prince)の凸凹バディによる謎解きミステリー、オトナの土ドラ『東海テレビ×WOWOW共同製作連続ドラマ 准教授・高槻彰良の推察 Season1』。昨日放送の第3話「鬼伝説の怪」での2つの衝撃展開に、SNS上ではざわつきが止まらない。
8月28日(土)放送の第4話の予告では「幽霊が見える霊感女優」「尚哉の能力喪失」と気になるワードや「助手を辞めさせてください」という尚哉の声も…
いよいよ主人公たちの人間ドラマも動き出すが、そんな中、もうひとつ視聴者の話題をさらっているのが、高槻が専門とする民間伝承や怪異を扱った「民俗学」の知識だ。子供のころ、なんとなく触れていた都市伝説などを学術的に解説する高槻に、SNS上では「勉強になる」「大学時代に戻れたら民俗学の講義をとりたい」というコメントも。ということで今回はこれまでドラマで登場した「民俗学」の知識をさらっとおさらいしてみようと思う。

「コックリさん」と井上円了

まずは第1話で登場した「コックリさん」。ご存じの方も多いと思うが「コックリさん」とは一枚の紙に「はい」「いいえ」「五十音」などを書き、その上に硬貨を乗せ数人が人差し指を添えて質問をするとひとりでに硬貨が動くという占いの一種。日本では狐の霊を呼び出す降霊術の一種という説が一般的で、「狐狗里(こっくり)」という字を充てられることが多い。もともとは西洋の占い「テーブル・ターニング」が起源とされているが、勝手に動く硬貨が心霊現象だと信じられ、畏怖の対象となっていた。
そんな「コックリさん」、実は明治時代にすでに科学的に現象を解明されているのだ。解明したのは井上円了。明治時代の哲学者で「迷信」を打破する観点から「妖怪」を研究していた高槻顔負けの人物だ。円了によるとコックリさんの原理は『不覚筋動』と『予期意向』で説明がつくという。ここからは高槻の言葉を使って説明しよう。

「硬貨に指を置いて緊張状態に置かれることで、無意識に筋肉が動く『不覚筋動』が起きると言われているんだ。そのせいで、動かしているつもりが無くても硬貨が動く」
「これに加えて、人間の潜在意識が、コインをある方向に動かすと言われている。(中略)潜在意識の迷いが不覚筋動と一緒になって十円玉を動かしているんだよ。この潜在意識を、予期意向と呼ぶ」

元々、西洋のテーブル・ターニングでは不安定なテーブルで占いに興じたらしい。たしかにテーブル自体が不安定であればちょっとした筋肉の動きでも硬貨が動いてしまいそうだ。

「わら人形の呪い」と平安貴族

わら人形を使った「丑の刻参り」は行う時間、五寸釘を使用、などかなり厳密なルールが決められた呪詛の行為だ。そもそも、人形に行った行為は人にも反映する、とされて日本だけでなく世界各地で似たような儀式が伝えられている。
そんな呪いの行為だが、日本で一番流行したのは貴族が権力を持っていた平城京や平安京の時代。この時代、呪詛行為は公的なもので、私的に行うことは法律で禁じられていた。例えば757年の養老律令に蟲毒魘魅(こどくえんみ)を禁ずる法律が記されている。(※蟲毒:動物や虫を殺しその魂を送り付ける呪詛 魘魅:人をまじないによって呪い殺すこと)禁を犯せば流罪などになったようだ。逆に言えば、それだけ呪詛を信じ、行うものが多かったとも言える。武士が支配する時代と違い、血を流すことを忌避した貴族にとって、「呪詛」は政敵を撃ち滅ぼす唯一の手段だったのかもしれない。

「人を呪う動機は何か? それは古来より恨みと嫉妬です。(中略)平安時代の貴族は役職や住んでいる場所で呼ばれ、本名は隠していました。(中略)名前を知られると、呪いに使われる可能性があるからですよ! それほどに人は呪いを恐れていたんです」

「鬼」という「解釈」

桃太郎や節分の豆まきなどでおなじみの鬼。語源説として最も古いものが平安時代中期に編纂された辞書「和名類聚抄(わみょうるいじゅしょう)」に書かれたものとされている。「鬼(おに)は物に隠れて姿を現さないので『隠(おぬ)』と呼ばれ、それが『鬼(おに)』に転じた」という説だ。
古代、日本では自然界の全てのもの・現象に霊魂が宿る(アニミズム信仰)と考えられてきた。つまり雷などの人知を超えた現象は、聖なるものが引き起こした、と考え、崇め祀ることで自身に災いが及ばぬよう祈ったのだ。その流れを汲んだ状態で「出雲国風土記」に登場する“一つ目の鬼”を考察してみる。「出雲国風土記」にはタタラ(製鉄)場で一つ目の鬼が人を食うという記述があるのだが、製鉄には火がつきもの。燃え盛る炎を見ながら作業をしていた人がその明るさで失明してしまうことがしばしば起きたのではないだろうか?タタラの炎が片目を奪う→目を奪う鬼(人智を越えた現象)→そこから“一つ目の鬼が人を食う”。現象を解釈するために鬼は生まれたのかもしれない。

「そもそも『おに』とは『おぬ』が転じたもので、本来は見えないもの、この世ならざるものを指したと言われているんだよ。自然災害や不可思議な現象を当時の人々はこの世ならざる者、鬼の仕業だと解釈した……。現象を解釈するために鬼という存在が生み出された」

以上、3つのネタを書き連ねたが、民俗学は奥深くそれぞれ諸説あるので、もし興味を持った方がいれば、さらに詳しく調べてみるのも面白いかもしれない。
最後に、これまでのリリースで高槻役の伊野尾が長台詞の他、セリフと違う言葉を黒板に書きながら芝居をするという荒業が、ファンの間でも話題になっているようなので、筆者が撮影現場で目撃したその場面を詳述することにしよう。

台詞とは違う板書…チョークが足りなくなるほど練習した伊野尾。神宮寺に「俺の代わりに書いてくれよ~」

それは第2話で登場した高槻の研究室でのシーン。台本で13行、300字を越える台詞を、まるで講義をするかのようにスラスラと話すだけでも大変なのに、台詞の中にある単語とは言え、台詞とは違うタイミングで話のポイントとなる単語を書いていく。「現象」や「解釈」といった漢字を正しい書き順で、しかも、チョークの色を最初の白から、途中で赤に持ち変えて書くというのは相当難しい。伊野尾はリハーサルで「台詞のタイミングで書き出すと、台詞がもったりしちゃうから、少し早めから書き出さないと」と悟ると、撮影の合い間に練習を重ねた。すると、チョークが減り過ぎてしまい、伊野尾の「もっと練習させてください」の一言にスタッフが慌てて別室へ取りに行く一幕も。

それを見ていた神宮寺に伊野尾が「これ、想像以上に難しいから。尚哉~、俺の代わりに書いてくれよ~」と可愛く懇願。尚哉としては何もできない神宮寺に伊野尾が「助手が全然喋ってくれないから、せめて板書ぐらいして欲しい(笑)!」と言うと、現場は笑いに包まれた。自らを追い込みつつも、緊張感を与えないよう周囲に気を配る伊野尾。その初座長の背中を、いま神宮寺は必死に追っているように見えた。

伊野尾と神宮寺の距離が近づく毎に、高槻と尚哉のバディ感も増して行く!第4話「白い服の幽霊の怪」は今週土曜8月28日23時40分から東海テレビ・フジテレビ系で放送。惜しくも第3話「鬼伝説の怪」を見逃した方、もう一度見たい方はFODをチェック!